なかなか進まない展示会出展用の作品製作
2019年年末年始、私は忙しさにかまけてYAOYAへの取り組みがおろそかになっていました。
創作への締切も近い1月終わりのファミレスで、「赤坂さんは今、普通の卵焼きも焼けないのに、チーズ味やのり風味の卵焼きを焼こうとしている」と諭してくださったのも「おかんさん」でした。
普通の素材では「ストーリー性が無い」と勝手に解釈していた私が、「意味のある加工素材」入手に没頭してしまったことから遅れた進捗の悪さから抜け出させてくれたのも「おかんさん」なのです。
試行錯誤してできあがった展示会用アクセサリー
「おかんさん」からアドバイスを受け、その後は思い切り「試作」に打ち込めました。 「実際に、やってみないとわからないでしょう?」との「おかんさん」からの助言通り、イメージで完了していた加工工程が、実地ではほとんど違う結果になっていくことに愕然としていました。
「一体これまでのキャリアを含めて、自分は今まで何をしていたんだろう...?」と奈落に突き落とされた思いと、「金属の加工がこんなにも難しいものだったなんて...」と自分の未熟さを思い知らされる数週間を過ごしました。
ほんとうの意味で「三日三晩」「半分徹夜」をしながら、「負けてたまるか!」その思いだけで繰り返した試作が、今回展示した「アクセサリー」となったのでした。
最後の仕上げもやっぱり「おかんさん」が中心となって進めていただいたのですが、京都「モクレン」さまでの作業時や台湾での展示準備でも、その「アクセサリー」はとても好意的に受け入れられました。 「作れなかったらどうしよう?」という、わけのわからない悪夢にうかされるような、目が覚めた後にいろんなことから現実逃避したいという独りよがりの不安は完全に消え、「これならいける!」との自信と確信をもって台湾での展示を受け入れることができたのでした。
そこからは、「まだ見ぬ台湾での展示会を今すぐにでも体験したい!」と思える位の気持ちになっていました。
「PRODUCTS EXHIBITION - 8 STORIES 」 Loftwork Taiwan
展示準備に打ち込んだ初日に、台湾のクリエイターが集まるイベントが開催されました。
私たちは現地の言葉が話せないので、国際交流では一般的に使われる「英語」でのプレゼンが必要となりました。
「英語でのプレゼン」なんてもちろん初体験な上、「何をどんなふうに伝えればわかってもらえるんだろう...?」。
そんな不安だけを持ちながらスライドを作りましたが、「自分の言葉で話そう、多分カタコトの見本みたいなプレゼンになるだろうけれど、ぶっつけ本番、...そうしよう」と心に決めて本番にのぞみました。
誰の真似もしない、事前にセルフも用意しない、ただその現場の雰囲気と来てくださったクリエイターさま達の温かい目...。
それだけを意識して、思いっきり恥をかいてきました!(笑)
さらに当日には、「名刺入れ」をどこかに落としてしまうというオチもつきました。
クリエイターの方々は、言葉がままならないのであればとイラストを書いて説明してくれたり、できるだけ簡単な英語を使っての会話や私の言葉をできるだけ理解しようと前向きな姿勢で対応してくれたり。
「もし日本に外国人が来られたら、自分もこんなふうに接しよう」 素直にそう思える、とても温かな「人付き合い」を体験させていただきました。
現地での反応で、特に多かったのは『もっと日本らしいデザインが良い』という声でした。 現地のクリエイターの方から、加工方法の提案をイラストでいただきました。
日本のみなさんには、台湾の街並みをモチーフにしたこのデザインを気に入っていただけたのですが、台湾の方々にはわかりやすく日本を連想できるモチーフが好まれるようです。 私が受けた率直な感想は、「まだまだ課題は多いな」ということでした。
今回のこのアクセサリーは、初のお披露目で販売したいというよりは生の声を聞きたいというのが第一だったので、貴重な意見をたくさん聞けて今後に向けての参考になりました。
情報はインターネットでも得られますが、その国の雰囲気や現実感は、やはり現地に赴いてみなければわからないですね。
今後は更にブラッシュアップ! 次回のプロジェクトでこれが更に進化するかもしれないし、全く違う形になるのかもしれません。
台湾での展示会は3月2日(月)、私の誕生日まで開催されています。
様々なことで騒がしい現状では、もしかすると現地の展示会にまで足を運んでくださる日本の方は少ないかもしれません。
そんな中でも国をまたぎ、たくさんの方々によくしていただいた「YAOYA PROJECT」の経験は、私の人生の中でもとても貴重な経験となって残ります。
私たちの作ったものが、世界の方々をワクワクとさせて、幸せな気持ちになるお手伝いができたのであれば。
日本の、大阪の、八尾市の片隅でコツコツとものづくりに携わる一介の職人として、それは本分だったのだと信じます。
赤坂金型彫刻所 三代目・赤坂 兵之助
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